留学経験なく、英語ができない夫婦が四苦八苦しながらも、留学の勉強以外に、体育会系クラブ、Party、旅行とかなりチャレンジしながらも、充実した留学生活を送っていった物語とその後の人生を綴っております。


by michiganlife
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2008/9/11 追悼

自分にとって唯一「師」と呼べる人が亡くなった。

競技ダンスを僕に一から教えてくれた中村先生。「チャンピオンを目指せ」と10年間教わり続けた。

中村先生に出会ったことで僕の人生は間違いなく変わった。




中村先生の訃報を聞いたのはのは先生の死から5日たった9/8夜中。
偶々大阪に出張していた僕は、いてもたってもいられず、奈良の中村先生の実家に走った。


家には、中村先生のいつもの満面笑顔の写真が飾られていた。
焼香しながらいろんなことが頭をよぎった。


大学で競技ダンス部に入り1年後、中村先生に教わることになった。

先輩に連れられ大阪南の細いビルをエレベーターで上る。細い長方形のダンス教室の一番奥に小さい体のおばちゃんがいた。それが中村先生だった。口がおっきく満面の笑顔。

背の低い先生。それでもでっかい男と同じぐらい動いていた。当時のチャンピオンも先生の前ではちっさく見えた。



それから僕と先生の闘いが始まった。

先生は基本しか教えてくれない。ダンスでは華やかなステップ、スピーディーなルーティーンが目立つ。それなのに先生は基本しか教えてくれない。

ダンスの基本は"Walk" 単に歩くこと。

毎日毎日、本当にスタジオの端から端まで歩くだけの練習だった。同期のみんなが他の教室の先生から色んなステップを習ってくる。それでも僕は歩くことしかさせてもらえない。全く踊らせてもらえない。そんな日々が続いた。1時間歩くだけのレッスンが何度も続いた。「今日は踊らせてもらえるかな?」という期待はいつも淡い期待で終わった。

試合が近づいた。それでもWalkだけの練習。単に歩くだけのステップをいかに綺麗に大きく、そして滑らかに歩くか。頭の上からつま先までの動きを事細かに体感する。この「体感」というのが難しい。頭でわかっていてもバランスやタイミングや全ての筋肉の連動などいろんな問題で、先生の目指すレベルの”歩き”ができない。どんなけ習ってもできない。それでもこのWalkの練習を乗り切らないと次に進めない。必死に練習をする。それでもWalkの練習は終わらない。

試合当日。みんなは色んなステップを披露。僕は足型を教わっていない。Basicという1年目で教えてもらう基本ステップのみで試合。当然予選落ち。

その後も中村先生のWalkだけのレッスンは続く。僕はあせっていた。基本が大切なのはわかるけど、こんなことやってて本当に勝てるのか?先生に対する不信感があった。

しばらくすると1時間のレッスンの最後の5分になったところで「ナチュラルターンやろか」といわれた。ナチュラルターンは右に90度まわるステップで初歩の初歩のステップ。左・右・左と3歩しか歩かない。それでも「歩く」ことからやっと「踊れる」ことになった僕はむちゃくちゃ嬉しかった。

そしてナチュラルターン"以降に進めない"レッスンがずっと続いた。毎日のレッスンは半分がWalk、半分がナチュラルターン。ベーシックステップの最初の一ステップだけを永遠に繰り返す練習。その間、試合は続く。僕はベーシックだけで試合に臨む。そして予選落ち。

試合に勝つためではなく、次のステップに進むために僕は練習を鬼のようにやった。365日休みなく踊った。1日寝る食べる以外はWalkとナチュラルターンをずっとやってた。もう先生との闘いだった。先生が納得するWalk,ナチュラルターンができるよう無我夢中だった。

先生はたった3歩で
『「ぐーーん」と行くんやぁ』という。
その感覚が全くわからない。

「ちょこまかちょこまか小技をやってもチャンピオンにはなれない。基本ができないとチャンピオンになれんぞ~」
中村先生はそう僕に言い続けた。そして、できない僕の前ではいつもひょうきんに泣き真似をする中村先生がいた。

「ナチュラルターンを制するものが世界を制する」そんな言葉を後輩にいう僕がいた。


先生に認められるナチュラルターンができる頃には3回生になっていた。3回生の七帝戦で初めて入賞した。春季関西選手権Waltzの部で3位になった。それ以降少しずつ成績がでるようになった。

それでも僕のルーティーンは他の人がするような高回転・難しい足型ではなく、誰でも真似できる基本的な足型。そして中村先生のレッスンは引き続きナチュラルターン・walkばかり。

4回生になった。六大学選手権でWaltzで優勝した。試合後自分の踊りを見た。自分のNatural Turnを見た。初めて自分の踊りで「すげー」と思った。中村先生のいう『「ぐーーん」と行く』っていうのが初めてわかった瞬間だった。ここまで丸2年の歳月がかかった。

そのころから中村先生から
『全日本チャンピオン』という言葉がでるようになった。

関西で勝ち続けた僕も全日では勝てなかった。でかいやつに勝てなかった。落ち込んであきらめかけたことも何度もあった。勝てずにずっと泣いていた日々もあった。そんな時、中村先生は必ず、

満面の笑顔で『一から一緒に頑張ろう。』と声をかけてくれた。

それから中村先生と『全日本チャンピオン』を合言葉にさらに上を目指す闘いが始まった。いつも教室の一番奥を陣取っていた。僕が誰よりも勝てるのは練習量とWalkの基本。
でかいやつに小さい体で勝つには、動くしかない。Walkの次元で勝つしかなかった。

4回生最後の全日本選手権。
試合後、東京から中村先生に電話した。涙を流しながら電話した。
『先生、やったっ!勝てたよ!全日本チャンプになったでぇっ!』
先生も泣いてくれた。
それが中村先生に対する一番の恩返しだった。


No.2にはない『No.1になる』ことの計り知れない破壊力

基本の大切さ

どん底から這い上がる前向き力



中村先生から沢山のことを学んだ。先生と出会って間違いなく変わった。人生観も考え方も変わった。


大学卒業後も妻と一緒に先生にお世話になった。人生についても沢山教えてもらった気がする。




今日、中村先生の写真の前で焼香した後、旦那さんから

『かあちゃんは君のことを「彼を絶対にチャンピオンにする」ってずっといってたよ。』という話を聞いた。涙が出できた。


中村先生。本当にありがとうございました。
沢山のことを学びました。
天国でもずっと笑顔で見守ってくださいね。
by michiganlife | 2008-09-11 01:58 | 留学後記