留学経験なく、英語ができない夫婦が四苦八苦しながらも、留学の勉強以外に、体育会系クラブ、Party、旅行とかなりチャレンジしながらも、充実した留学生活を送っていった物語とその後の人生を綴っております。


by michiganlife
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

学生に会って今の自分を振り返る 5/4/2006

仕事で学生に会う機会があり、ふと自分がなぜ今の仕事を選んだのか考えました。昔はここまでは考えてなかったと思う。

僕は理系人間。もともと研究者で大きな発見・発明がしたいと小さな頃から思ってた。多分小学校ぐらいからだと思う。科学学研シリーズ・エジソン・野口英世・キュリー夫人・シートンの伝記を何回も読みあさってた。小さい頃から算数・理科が大好きで、特に誰も知らなかったような解き方や発見をするのが好きだった。小さい頃から自然に志望大学・志望学部は固まっていた。中学・高校の先生にも恵まれ勉強は楽しかった。クラスでは教卓の前に自分の机がつけられ、そこがずっと指定席になってた。質問ばかりするからってことで。放課後もずっと質問をしに先生のところに足を運んでた。

大学に入って、さあ勉強と思っていたが、思っていたところと違っていた。わくわくしない。確かに難しいこと・レベルの高いことをやっているけれど、面白く感じない。勉強すれば単位はとれるが、いつのまにか自分の進路に疑問を持ち始めた。単位は2年でそろった。そんな中、入部した競技ダンス部で連盟理事を1年生の後半から任せられ、連盟委員会の仕事をさせてもらうようになった。

全国のダンス部には特に顧問の先生がいるわけでもないので、連盟委員会はまさに学生だけの運営。関西では当時MAX800~1000人ほどの部員。部と学校の合間合間の仕事とはいえ、沢山の人を動かすのは大変だと感じるようになっていた。そんな中でもさすがに学生の運営というだけあって、運営の方法・効率化はまだまだだなとも感じていた。3年生の秋。当時の連盟委員長だった人から、『お前が来年やれ。俺がみんなを説得するから。』と告げられた。それまで委員長に対して意見具申が多かったからなのか。選手としてもっと真剣にやりたい。全日本選手権優勝をしたいと思うようになってきたころなので正直返答に困った。委員長の仕事がどれだけしんどいかを目の当たりにしていたし、選手として試合に集中できないことも分かっていた。ヤクルトの古田の気持ちが良く分かる。が、何度も説得され、結局、委員長をやることになった。

ただ、せっかくやるなら変えていきたい。改革したい。新しいことをやっていきたい。その気持ちは研究者としてでなくても、エジソン達から学んだことなのかもしれない。

当時、自分で感じていた問題点は、
①試合にダラダラ感が漂っており、試合が終わるのがかなり遅くなっていたこと
②その分、決勝戦・デモンストレーションなどを急がないといけないようになり、時間をとるべきときにバタバタしてしまうこと。
③委員会全体の収支がかなりの赤字だったこと

でした。

話すと長くなりますが、試合の進行でいけば、当時、選手主体の試合進行。つまり選手が集まらなければ試合が始まらない。都度予選から選手を一列に並べて点呼していた。来なければ呼ぶ。待つ。。。まずそれをぶった切り、

『時間に来ないやつは来なくていい。そのまま進行を進める。遅刻すればもう終わり。かつ、名前をいちいち呼ばない。ヒート数(予選の順番)を司会がマイクで伝えればそれで各自でフロアに上がるようにする。』当時は、アマチュア方式と呼んでました。

今では当たり前のことになってると思いますが、当時はかなり反発がありました。改革には抵抗がつきものです。今振り返れば相当強く押し切ったと思います。それから当時の進行の時間間隔を仕切っていたのは実は、進行役の司会。この人が時間をだらだらとさせないキーマンになるとみた僕は、試合進行時に司会者の横にずっと座り、『選手を待たなくていい。どんどん進める。こちらが主体になるんだ。』と何度も説得しながら進行させていきました。結局、この改革で一番の抵抗力は、『全員の意識改革』でした。

『呼ばれたらいけばよい。遅れても呼んでくれる。』⇒『遅れたら棄権とみなす。もういちいち呼ばない』

この意識の変化をさせるには、ある程度強引にやっていかないといけなかったところがありました。当然反発もありましたが、当時の優勝候補も試合ヒートを忘れていただけで出場できず棄権にさせました。かなり反発がありましたが、不退転の気持ちで臨んでいると、いつの間にか選手が自分でヒートを確認するようになり、意識が変わってきました。今ではもう当たり前です。
試合終了時間は2時間早くなりました。かなりメリハリの利いた試合になりました。 最近また遅くなってきてるようですが。。
連盟の会計収支にもメスをいれ、当時300万円ほどの赤字であった収支を200万円の黒字化。メリハリの利いた予算案にして、会場費・トロフィー代などかけるところにはしっかりお金をかけ、いわゆる不明朗なとこるを一切なくした。

そんなこんなで選手として練習をして試合に出ながらの連盟の運営は大変でしたが、やらせてもらったことでいつの間にか、自分の目指す将来像に気づきをもらいました。一人でこつこつと研究に打ち込むよりも人を動かしたい。組織を動かしたい。そんな仕事をやりたいと思うようになりました。

これが、院進学をせず今の仕事を選んだきっかけでしょうか。今思うと。一人でやるより、みんなと騒いで仕事するほうが自分にも合ってるしね(笑) 以上
by michiganlife | 2006-05-04 08:52 | 留学後記